出産記録(うんひょ)

うんひょを妊娠したのも、日本にいる時だった。体調が思わしくなく、つわりのような症状があったが、なんとなく病院に行くのがおっくうで、かなり経ってから行った。
予定日は3月15日。私の計算では、3月13日なんだけどなア。やっぱり3人目でも、つわりはつらい。5キロぐらい体重が減った。(その後 反動で10キロ以上太ったけど、、、)

アッパの体調も悪かった。日本での生活の疲れか、仕事のストレスか?毎日のように“お腹が痛い”と言っては、下痢が続いた。日本の食事が合わないのだろうか?でも韓国の激辛よりは胃にいいと思うんだけど、、、病院に行って検査をしても別に大した事はないといわれ、薬をもらって飲むだけだった。

でもいっこうによくなる気配はなく、考えた末 日本を引き払って韓国に帰ることにした。アッパは田舎の農業を手伝いながら、大学院に通うことになった。大学までは 家から車で1時間半。

うんひょの産まれる気配があったのは、私の計算した予定日3月13日、の前日。
ちょうどアッパが学校に行く月曜日だった。アッパが出かけてからすぐ、おしるしがやってきた。
“えー!どうしよう。アッパは明日まで帰ってこないのに、、” 陣痛はまだないが、3人目だからすぐ産まれるかも、という不安。産院の近くに住むお義姉さんに電話してみた。車で迎えに来てくれるという。“助かった!”準備をしてお義姉さんの家に行き、待機した。うんじとうんぎょんはハルモニがみてくれる。が、すぐに来る!と思っていた陣痛はノンビリ屋らしくなかなか来ない。

そのまま一晩過ごした。すると、、、すこーしずつ来た!陣痛をのがしている間、アッパから何回か電話があった。“授業出るのやめて今から行こうか?”というアッパに、“今日は午前中で授業終わるんだから、全部受けて来てよ。まだ産まれそうにないから、、”と答えた。アッパが来るまで何とか我慢しようと思った。

が、、、陣痛は待ってくれない。ますます大波が襲ってきた。クーッ!、、見かねたお兄さんが“もう病院に行った方がいい”と言うので、お義姉さんに付き添われて歩いて行った。途中、近所のおばさんに会った。“これから子供を産みに行くんですよ。”とお義姉さんが のんびり挨拶した。私も激痛の中、ニッッコリ笑った。

徒歩5分で産院に着いた。看護婦さんに“3人目はすぐ産まれるんだから、もっと早く来ないとダメじゃないの!”と叱られた。急いで内診して、待機室で横になるや否や、パーン!というすごい音がして破水した。
“アオー、アジュンマー!(おばさん!と いかにも怒ったように)”。
私の前にいた看護婦さん、羊水を頭からかぶってしまったらしい。そんな怒られても、、、不可抗力ですヨー。ワザとじゃないし、今の私は謝る冷静さなどない。ひどい下痢のような痛みに、とにかくうなり続けた。

分娩台に上がるとすぐに“いきんで”といわれ、3女がスルッと出てきた。
12時20分。産院について20分後だった。長女、次女の時は産まれてすぐ先生が“女の子ですよ”と言ってくれたが、今回は一言もない。

“まさか どっか障害があるんじゃ、、、”という不安が よぎった。怖くて聞くに聞けずにいると、ひととおりの処置が終わって、やっと先生が“女の子です”と言ってくれた。さすがに3人も女の子を取り上げると、先生も恐縮して言葉が出なかったのか?

産まれたばかりの うんひょは、頭の形が整って とてもよかった。
看護婦さんも“モリガ ノム イエッポヨ(頭がとってもかわいいね)”と言ってくれた。顔のことは、イッサイ 触れないが、、、、。
(今ではその 唯一かわいかった頭の形も、上向きに寝かせている間に、絶壁になってしまった)

お義姉さんは私をおくっておいて、荷物を取りに帰るつもりだったが、すぐに産まれてしまったので 帰る暇がなかったらしい。しばらくしてアッパが来た。急いで車を飛ばして来たようだ。“まだ産まれそうにないって言ってたのに、一人で産んじゃったのか?”
だって“待ちきれなかったんだよー”

次の日、めでたく退院した。
退院前の面接で 先生から“また来てくださいね”と言われた。
また、、があるだろうか?
もしあるとしても、4女になると もうここでは産めないなー。




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